mint kiss

トリシシおうち診断様からお題いただきました。

ベッドの上で 歯磨きしながら 思い出に耽る鳳宍

昨日の大雨が夢まぼろしだったかのような朝。
開け放たれたカーテンから差し込む明るい日の光にまぶたを温められて目が覚めた。
毛布のぬくさを体に巻き付けながら寝返りをうつ。
あるはずの暖かさが隣に居ないことに気がついたけれど、開けっ放しのドアの向こうから聞こえる水音に、ほっと息を吐いた。
体を起こして水音をに耳をそばだてる。
バシャバシャと断続的に聞こえるのは、洗面台で宍戸さんが顔を洗っているときのリズム。
それは、眠気の残る頭には音のない目覚まし時計のように穏やかに響く。
叩き起こすわけではなく、俺に俺自身で覚醒するよう促すみたいな、不思議な感覚。
ベッドを抜け出せば、足は自然と洗面所へ向かう。
まぶた半開きの視界でのぞき込んだら、ヘアバンドをした宍戸さんがタオルで濡れた顔を拭いているところだった。
「おはよ」
「……はよ、ございます」
宍戸さんはタオルを首にかけて、俺のあごを指先でつついた。
「ひげ、伸びてる」
「んー」
洗面所のドアに寄りかかって宍戸さんの指を感じる。
温かい指だ。
ゆうべ、俺の背中や腕に力強くすがりついてきた指。
今は猫をあやすように俺のあごの下を撫でて、ときどき髭をつまはじく。
「起きろよ」
「んー」
宍戸さんの指が気持ちよくて、立ったまま眠ってしまいそうだ。
まぶたを閉じたら、突然喉元にビリッと痛みが走った。
「いった!」
「剃り残し。伸びてたぞ」
見開いた視線の先で、宍戸さんは器用に抜いた髭を一本摘んで掲げていた。
「ほら、結構長い」
「うん、痛いよ、宍戸さん……よく毛抜き使わないで抜けましたね」
「目ぇ覚めただろ?」
顎を引いて口端を引き上げて、ニヤリと笑いかけられる。
宍戸さんの上目遣いはいつも挑戦的で、だけどそこが一等可愛らしい。
それは大人になった宍戸さんにほんのり残る少年ぽさが垣間見られる瞬間で、俺の恋心を容易く刺激する。
抱き寄せて、むき出しのおでこにキスをする。
洗顔したあとのしっとりした肌の感触を惜しみながら顔を離せば、宍戸さんの手がうなじに回ってきて引き寄せられる。
唇に落としたキスは宍戸さんが買ってきた歯磨き粉の味で、ミントのさわやかさに包まれていた。
「おまえも使う?」
俺を解放した宍戸さんは、半歩あとずさって言った。
狭い洗面所は二人では使えない。
宍戸さんは俺に譲ってくれようとしていた。
宍戸さんの身支度のルーティンは、歯磨き洗顔のあとに寝癖直し。
髪の毛を全部濡らすから、ここに俺が突っ立っていたら当然邪魔になる。
「宍戸さんが終わってからでいいですよ。まだ途中でしょ?」
自分の歯ブラシに歯磨き粉をつけて洗面所を出る。
それを口に含んだまま寝室に戻って、ベッドの端に腰を下ろした。
スースーする清涼感は辛味が強いが、それでも昔に比べたら大分平気になった。
あの頃は宍戸さんの好きな味をなんとしてでも共有してみたくて、ミント味のガムを無理矢理噛みしめては涙目になって耐えてばかりいた。
味覚は年齢とともに変化すると知ったのは、二十歳を越えて酒の味を覚え、甘いものより塩辛いものの方が好みに合うようになってからだ。いつの頃からか、俺の舌はミント味への拒絶を忘れていた。
ベッドの上で唇を閉じて、泡をこぼさないように歯を磨く。
ミントガムも満足に味わえないあの頃の俺だったら、こんな行儀の悪いこと、絶対にしなかった。
ズボラである自覚はあるけれど、男の二人暮らしなんてこんなもんだろうとも思う。
それを許せる自分になったのは、大人になったからだけではないとも、同時に思う。
「終わった」
宍戸さんが濡れた頭にタオルをかぶせて現れた。
俺の隣に腰掛けてガシガシと髪を拭く。
「んーん?」
歯ブラシを咥えたままでは話せず、宍戸さんの瞳をのぞき込んだ。
俺に気を遣わずに、髪を乾かすところまで終わらせてくればいいのにと言いたかった。
見つめ返され、宍戸さんの目元がゆるむ。
「いいって。別に洗面所じゃなくたって髪は乾かせんだからよ」
言葉は俺の瞳から宍戸さんに伝わったらしい。
「それよか早くすすいで来れば。辛いの嫌いだろ」
「んぅ?」
「歯磨き粉」
膨らんだ俺の頬を爪の先でひっかくように撫でて、宍戸さんは部屋を出ていった。
強くはつつかれなかったのに、なぜか頬にじんじんと感触が残る。
そのむず痒さに急かされて立ち上がった。
背中を追いかけ、洗面所でうがいをして、宍戸さんの腰を摑まえる。
「俺、もう辛いの大丈夫ですよ」
そうだったっけ?と宍戸さんは首を傾げた。
「年を取ったら平気になっちゃった。ねぇ、それより覚えていてくれたんですね。俺がミント苦手だったこと」
「そりゃあ、親の敵を取るみたいな顔で俺がやったガム噛んでるの見たらなぁ」
「そんな顔してなかったでしょ」
「いいや、してた。嫌いなら嫌いって言えばいいのに」
「言えるわけなかったって知ってるくせに」
抱き寄せてキスを落とす。
唇を舐めて、宍戸さんの舌に触れた。
「今はもう、同じ味がわかるようになった」
「そりゃあ、同じ歯磨き粉使ってるからな」
「ここは俺たちの思い出にじんわりくるところでしょ」
「なんで」
「またそうやってはぐらかす」
わざと不満を隠さずに居たら、宍戸さんはからかうように笑って俺に体を寄せた。
首を伸ばした宍戸さんに唇を舐められる。
舌が入ってきて、追いかけるように絡ませた。
「俺にはおまえの味にしか感じねぇけど?」
そして、また挑むような上目遣いで俺に微笑む。
口の中でミントと宍戸さんの舌の味が転がる。
爽やかな辛さには慣れたのに、宍戸さんは今も昔も、俺には刺激が強すぎる。