残業でクタクタになった金曜の夜。
通勤に使っている路線の沿線上にあるデパートで沖縄物産展が開催されていると知ったのは、帰りの電車の中だった。
車内には夜遅いというのに人が溢れていて、つり革につかまって外を眺めても地下鉄の暗いコンクリート壁が続いているだけ。
窓ガラスに映る自分の顔は照明のせいかはたまた今日一日の疲れのせいか五歳くらい老けて見えて、うんざりしながら虚像の自分から目を逸らし見上げた先にその広告はあった。
『…百貨店八階催事場スペースにて、年に一度の沖縄物産展開催!』
夏らしい軽やかな字体で書かれている謳い文句の下に、南国のフルーツやかき氷、ソーキそばや海ぶどうの写真が並んでいる。
民芸品やシーサーの置物に混じって、現地のキャラクターだろうか、着ぐるみも登場するらしく、伝統楽器と民謡の特別ライブも催されるらしい。
ふとひらめいて、カバンからスマホを取り出しメッセージアプリのアイコンをタップした。
一番上に表示されているメッセージを開けば、昼に宍戸さんと帰り時間のやりとりをした会話が表示される。
『で』の文字をフリック入力しただけで予測変換に出てきた『デートしませんか』のセンテンスをタップして送信する。
少しの間画面を眺めていたら思ったよりも早く既読のマークがついて、『今?』と返信が返ってきた。
『明日。デパートで沖縄物産展やってるんだって。面白そうだから行ってみません?』
『それ俺も見たかも。電車に貼ってあったやつだろ?』
『そうそう! パイナップル食べたいです。手でちぎれるやつ』
『なんだっけそれ。名前ド忘れした』
『スナックパインって書いてある。ソーキそばも食べたいなぁ。ラフテーもサーターアンダギーもある!』
『食いもんばっかかよ』
『いいじゃん。おなか空かせて行きましょうね!』
『はいはい。てか会社出たら連絡しろって言っといただろうが。もう電車乗ってんだろ?』
『そうでしたごめんなさいもうすぐ駅についてしまいます』
ドキリとして句読点も絵文字もないまま文章を送れば、宍戸さんからは不細工なひよこが頭から湯気を出して怒っているスタンプが送られてくる。
昼のやり取りで、今晩の夕ご飯担当である宍戸さんは俺の帰りに合わせてカレーを作ってくれると言っていた。俺が会社を出たタイミングで作り始めればちょうどいい頃合いに出来上がる。だから帰るときに連絡するよう言いつけられていたのに、仕事に忙殺されて一報を入れるのをすっかり忘れてしまった。
罰として、これまた宍戸さんの担当だった風呂掃除と、駅前の深夜営業のスーパーで卵を買ってくるよう言いつけられてしまった。
うさぎが頭の上で丸を作って笑っているスタンプを送り、もう一度広告を見上げる。
背景に広がる青い海と空にどこか懐かしさを誘われ、最寄り駅につくまでの間、沖縄旅行のツアーやホテルを検索することに没頭した。
翌日、遅めに起きた俺たちは昨日の残りのカレーの誘惑に耐え、朝ごはんを軽めにして家を出た。
通勤に使う電車も、デートに向かう途中と思えば気持ちが軽くなる。
一緒に暮らしているとあらたまってデートをする機会が少なくなるなんて聞いたりするけれど、俺たちはしょっちゅう二人でデートに出掛けている。
俺から誘うことの方が多いけれど、外に出ることの好きな宍戸さんは結構楽しんでいるようで断られることは滅多になかった。
車内に貼られた物産展の広告を眺めながらぽつぽつ会話をしているうちに目的の駅に到着した。
改札を出て地下通路を少し歩くと、駅と直結している百貨店の入口が見えてくる。
セールや季節のおすすめ品のポスターの隣に物産展のポスターが貼ってあるのを見つけたら、心なしか宍戸さんの歩調が早まった。
宍戸さんも、なんだかんだ言ってこういうの好きなんだよね。
物産展はお祭りみたいな高揚感を俺たちに与えてくれる。
土地の食べ物や工芸品に囲まれるのはワクワクするし、何といっても美味しくて楽しい。
東京では味わえない本場の味を現地に行かなくても味わえるし、こっちでは見かけない繊細な民芸品を間近で見られるのは興味深いものがある。
エレベーターに乗ると既に八階のボタンが光っていた。
同乗している誰かも同じく物産展目当てらしい。
八階についてエレベーターのドアが開いた瞬間、三線が奏でる沖縄民謡が聞こえてくる。
駆け出したくなる気持ちをグッと抑え、まずは宍戸さんと二人、腹ごしらえをすることにした。
休日ということもあって、催事場はたくさんの人でごった返している。
その合間を縫うようにして進み、宍戸さんと手分けして出展ブースに並んだ。
宍戸さんはラフテー、俺はソーキそばの列に並んで順番を待つ。
だしのいい香りが漂ってきて食欲がそそられた。
十五分ほど並んだだろうか。両手に一つずつ発泡プラスチックのどんぶりと割りばしを持って辺りを見渡すと、先に買い終わっていた宍戸さんが飲食スペースのテーブルで椅子から腰を浮かせてこちらに手を振っていた。
こういうとき背が高くて良かったなぁと思う。周りの人たちから頭一個分飛び出ているおかげで宍戸さんがどこにいるか見つけやすいし、宍戸さんもすぐに俺を見つけてくれる。
どんぶりの中身をこぼさないように会場を横断して宍戸さんのもとに辿り着けば、テーブルにはラフテーだけじゃなく海みたいに青く透き通ったドリンクも置いてあった。
「ここ座ってたらもらった。試飲だってよ。泡盛のブルーハワイカクテルって言ってた」
「試飲にしてはカップ大きくないですか?」
二人分のソーキそばをドリンクの隣に置いて椅子に腰かける。
透明なプラスチックカップはどう見ても試飲用の一口サイズというよりは普通に商品として提供されるサイズをしていた。
「あちこち配ってたから俺たちだけってわけでもなさそうだぜ」
「サービスなのかな。太っ腹ですね」
「ちらし渡されたし、バリバリの宣伝っぽいけどな」
宍戸さんから手渡されたちらしを見ると泡盛専門店のようだ。飲み方のバリエーションを紹介するためにカクテルにして配っていたということなのだろうか。
「じゃあせっかくだから、昼間ですけど乾杯しちゃいますか」
音のならないプラスチックのカップを合わせて乾杯した俺たちは早速戦利品にありついた。
やさしいだし汁と麺も、こっくりと味付けられた豚の角煮も、空腹にしみるようだ。何より泡盛のカクテルが一番しみた。サンプルとして配っていた割に泡盛が濃い目だったからだ。
「これ酔っちゃいそうですよ」
「おまえはこれくらいのアルコールじゃ酔わねぇだろ」
「俺じゃなくて宍戸さんが」
「あぁ、うん、確かに」
お酒に強くない宍戸さんは半分飲んだところでカップを俺に寄越してきた。アルコールに関してはザルの俺が責任をもっていただきます。
それにしてもまろやかな飲み口だ。泡盛って度数が高いし焼酎のようなイメージでいたけれど意外と飲みやすいお酒みたいだ。宍戸さんも度数はともかく味は気に入っているみたいだし、ちらしのお店もあとでのぞいてみよう。
列に並んでいた時間と同じくらいの時間で全部平らげてしまった俺たちは、トレイ回収コーナーに使い捨ての食器類を分別してからまた散策に繰り出した。
食べたかったスナックパインは持ち帰りかここで食べていくか選べたので、持ち帰りにして包んでもらった。昼時にさしかかりイートインスペースが混んできていたので、家に帰ってから宍戸さんとゆっくり楽しむことにしたのだ。
他にも、海ぶどうやサーターアンダギー、もずくにソーキそばセットとさっきの泡盛も買って、今夜は家で沖縄パーティーが出来そうだ。
「リュックで来てよかったですね。泡盛は重いからリュックに入れちゃお」
「ついつい買いすぎちまうんだよなぁ」
「宍戸さん、あそこにフルーツ屋さんがありますよ。わっ! ドラゴンフルーツがある!」
「あ~~も~~、キリがねぇなぁ」
「そんなこと言って、宍戸さんも食べたいでしょう?」
「当たり前だろ? 俺とおまえの分、一個ずつ買って帰るぞ」
結局そのブースではドラゴンフルーツだけじゃなくマンゴーも買い、搾りたてシークワーサーのフレッシュジュースを一つ注文した。
カップに刺さったストローから黄色いジュースを啜った宍戸さんが、酸っぱさに身震いして首を竦めながらカップを渡してきた。一口啜って同じように首を竦めると、宍戸さんは俺のしょぼしょぼした表情を笑った。
酸っぱさが癖になったのか、宍戸さんはそれから一口も俺にはくれずに全部飲み干してしまった。
「案の定、食いもんばっか買ったな」
「だって全部美味しそうでテンション上がっちゃうんだもん」
「まぁなー。あー沖縄行きてぇなぁ」
その言葉を待ってましたとばかりに前のめりになった俺の思惑に瞬時に気が付いた宍戸さんは、みなまで言うなと目を細めて右手に持っていた薄手の紙袋を掲げた。
「さっきおまえが泡盛買ってるときにもらっといた」
「それは……まさか!?」
「沖縄旅行のパンフレットの山だ」
「流石です宍戸さん!」
宍戸さんも俺と同じように沖縄に旅行に行きたいと思っていたなんて!
行きたいところ、したいこと。俺と宍戸さんの思考が似通ってきているみたいで嬉しくなってしまう。
これで、帰ったら本格的に旅行の相談が出来る。たくさん買った沖縄の食べ物とパンフレットをテーブルいっぱいに広げて、夜遅くまで計画を立ててみるのも悪くない。
まだデート中なのに帰宅してからのことまで楽しみになってきた。今日ここに来ることを誘ってよかったと、あの広告との出会いに感謝する。
「なぁ、ちょっとここ見ていいか?」
帰り足になっていたところを宍戸さんに引き留められた。
宍戸さんが指さしたのは、みんさー織りという沖縄伝統の織物を展示しているコーナーだった。
織り機の写真パネルには織り方の説明書きもあわせて紹介されていて、作品集や実物も展示されている。
色とりどりでカラフルなのに優しい風合いで、ワゴンには着物の帯だけではなくバッグやネクタイに加工されたものが並べられ販売されていた。
宍戸さんはそのコーナーの真ん中に展示してあるパネルの前で立ち止まった。
パネルには『みんさー織りにこめられた願い』というタイトルで、織物の写真と一緒に歴史や織物の柄の意味について説明書きがされていた。
「愛情の証だってよ」
宍戸さんは隣に立った俺を見上げることなく、まっすぐにパネルのみんさー織りを見つめて小さな声で言った。
「五つ模様と四つ模様で、いつの世までも末永く、だって」
「へぇ、そんな意味がこめられていたなんて知りませんでした」
「ラブレターみてぇだな」
通い婚の習慣があった当時、女性は想い人にこんな気持ちをこめながら織った織物を贈っていたという。
いつの世までも、末永く、私のところに会いに来て。
想いを紡ぎ、伝統を繋ぎ、遥かな時の流れとともに、今俺たちはこの織物にこめられた愛の願いに触れた。
斜め下からの視線に気づき、宍戸さんを見下ろす。
泡盛の重さでリュックのひもが食い込んでいる俺の肩を小突いて、宍戸さんは口端をゆるめた。
周りにたくさん置かれているみんさー織りが口々に愛を囁いているような気がして、俺も負けないくらい宍戸さんに好きだと伝えたくなって、なんだかうなじがむずむずした。