包んでダンプリングハート

ざっと水洗いしたキャベツの葉を重ねて細かく細かくザクザク切り刻む。
何も考えずにただ手だけを動かして、山になるまでキャベツのみじん切りを繰り返す。
そうしてできた山をボウルに入れて、豚ひき肉のパックを二つ、ラップを外してボウルの上でひっくり返した。
キャベツの山に重量感のあるひき肉が着地して、若草色と赤のコントラストが俺に捏ねろと言っている。
生姜とニンニクをすりおろし、醤油と酒とごま油と鶏がらの顆粒だしを目分量で加えたら、躊躇せずに右手をつっこむ。
ぬとぬと、ざらざら、にちゃり、ざくり。
握りこめば指と指の間を肉の塊が通り過ぎる。
キャベツと調味料とひき肉と。
バラバラだったものを一つにしていく。
ぬちゃ、ぺたり、ひやり。

どうしてあんなに腹が立ったのか、あの時の感情を分析しようにも冷静になれない自分がいる。
昨夜は大学時代の仲間たちとの飲み会だった。
不定期で開催されるテニスサークルOBの集まりと言えば聞こえはいいが、誰かの声かけで暇な奴らが適当に集合しダべるだけのなんでもない飲み会だ。
俺は何度か参加したことがあるが長太郎は一度も来た試しがなく、昨日が初めての参加だった。
その飲み会は、今までで一番参加者が多かった。おそらく、メンバーの一人が結婚することになりその報告会も兼ねての集まりだったからだろう。
きっと、珍しく長太郎が参加したのもそれが理由だ。
長太郎にとっては世話になった先輩を主役にしためでたい会だ。後輩として門出を祝ってやらないわけにはいかなかったんだと思う。
先に居酒屋に着いて仲間たちと飲んでいたところにあとから遅れて来た長太郎は、顔にいつもの笑顔を貼り付けてみんなに挨拶しながら、俺のことは一度も見ようとしなかった。
長太郎とは一緒に暮らし始めて一年になる。
そのことを、その場にいた人間は誰も知らなかった。
だから長太郎が俺に視線を寄越さないのを、周りに付き合っていることを悟られないようにしているだけなんだと思い、さして気に留めずに仲間たちとの会話を楽しんだ。
長太郎が俺に声を掛けてきたのは、飲み会が終わり、居酒屋を出た歩道で二次会に行く酔っ払いたちとそのまま帰宅する酔っ払いたちが長々と管を巻くような別れの言葉を行き交わせ混沌としていたタイミングだった。
『宍戸さん、帰りましょう』
『なんだよ、おまえ珍しく顔出したのにもう一軒いかねぇの?』
『行きたくありません』
『……なに機嫌悪くしてんだよ』
さっきまでにこやかに周りの人間と飲んでいたはずの長太郎は、大きな体で仲間たちから隔離するように俺の目の前に立ち塞がりスッと笑顔を引っ込めた。
『いいから帰りましょう? 俺は早く宍戸さんと家でゆっくりしたい』
『帰りたきゃ一人で帰れよ』
『どうしてそんなこと言うんですか』
『おまえこそ、どうして俺を連れ帰ろうとするんだよ。俺が楽しんでいるのがそんなに嫌か』
『そんなことない』
『あるだろ』
『……もういいです』
背を向けて一人足早に駅に向かっていく長太郎を、俺は見送らなかった。
二次会にはほとんどのメンバーが帰らずに参加していて、長太郎がいないことに気付いた一人が俺に行方を聞いてきたけど知らないと答えた。
それっきり長太郎のことが話題に上がることもなく、学生時代を思い出すかのように無茶をするやつが出てきたりして馬鹿騒ぎは終電間際まで続いた。
長太郎と暮らす部屋に着いたのは、日付が変わりだいぶ過ぎたころだった。
あんな言い合いをしたあとでも起きて俺を待っていてくれるような器のでかいやつではないとわかってはいたけれど、案の定部屋は真っ暗で、その上寝室のドアは鍵がかかっていた。
鍵は中からしか開けられないし、ベッドは寝室にしか置いていない。
つまり、いじけた長太郎は籠城し、俺にソファーで寝ろと言っているのだ。
酒が入っていることもあって怒りの沸点が極端に低くなっていた俺は、寝室のドアを蹴って風呂場に向かい、服を洗濯機に叩きつけるように投げ入れてシャワーを浴びた。
そして冷蔵庫に餃子の材料を買っておいたことを思い出したのだ。
明日は日曜で、俺と長太郎は一緒に餃子を作る約束をしていた。
俺はその約束を反故にすることを決めた。

手のひらに伝わってくるいろんな感触に集中していると熱くなっていた頭が冷えてきて、喉元でモヤモヤしていたものもいつの間にか気にならなくなる。
全部が均一に混ざり合ったら餡を少し寝かせた方がいいらしい。
味が馴染むまで待つってことなんだろうけど、そんな悠長なことは言っていられないので皮に包む作業に移ろうと思う。
時計の針はもう三時を回っていた。
肉の脂まみれになった手を洗う。
これがなかなか落ちなくて、食器用の洗剤で二度も洗う羽目になった。
冷蔵庫から二十枚一パックの餃子の皮を二つ取り出して、餡の入ったボウルと一緒にリビングに持っていく。
立ちっぱなしで細かい作業をするのは、早朝に近い深夜の体には流石によろしくない。
酒も抜け切っていないわけで、ラグにあぐらをかいてダラダラと作業したくなったのだ。
ローテーブルの上にボウルと皮、出来たものを並べる大皿と水の入った小皿を並べた。
テレビでもつけようかと思ったけれどやめておいた。
閉ざされたままの寝室の向こうの存在に気が回るまでには、俺の気持ちは落ち着きを取り戻しつつあった。
スプーンで餡をすくって皮に落とす。
ひだを作って包み込む。
繰り返し、繰り返し。
単純作業は心地いい。
気持ちをフラットにしてくれて、本当に大切なものはなんなのか俺に思い出させてくれる。
何も考えなくて済むはずの頭の中は、いつしか長太郎のことでいっぱいになっていった。
長太郎は、俺が長太郎以外の誰かと飲みに行くのをやけに嫌がる。
今までOBの飲み会に来なかったのだってそうだ。
俺が長太郎の知らない人間と飲みに行くならいざ知らず、俺たちの共通の友人との飲みですらあいつは嫌がった。
どうしてだ、と聞いたことは何度もある。
けれどそのたびあいつは『もういいです』といって俺から距離を取った。
浮気を疑われているのかと思ったがそうではないらしい。
二人で出掛けたバーで俺が他人に言い寄られた時も、友人の頼みで仕方なく二人で合コンに参加した時も、あいつはこんな風にへそを曲げたりしなかった。
だから正直、わけがわからないのだ。
餃子を並べていた大皿がいっぱいになった。
重ねて並べるか新しい皿を持ってくるか考えていると、カチャリと鍵の開く音がした。
続いてドアが開く気配がして、衣擦れとペタペタ裸足で廊下を歩く音がする。
振り返ると飲み会のときの格好のままの長太郎が、前髪に盛大な寝癖をつけてぼーっと立っていた。
「なにその頭。帰ってきてそのまんま寝てたのかよ」
「宍戸さん……? あれ? なにやってんの?」
「おまえが部屋にいれてくんねぇから餃子作ってた」
「部屋……あっ」
ぴょんと立った前髪を寝ぼけ眼で撫でつけていた長太郎は、俺の言葉に昨夜のことを思い出したのかハッとした表情をして俯いた。
唇を引き結んだまま俺のそばまで寄ってくる。
そして俺の後ろに腰を下ろして腹に腕を回し、俺をきゅっと抱きしめた。
「鍵かけて、ごめんなさい」
「ん」
「勝手に帰ってきて、ごめんなさい」
「それは俺がそう言ったから」
「うん、そうなんだけど、ごめん」
俺の後頭部にひたいをあてて、長太郎はごめんと繰り返す。
新しい皿を持ってくることは諦めて、残りの皮に餡を包む作業を再開した。
「それ、明日やろうって言ってたやつ?」
「おぅ。ごめん、俺もムカついたから仕返ししちまった」
「仕返し? あぁ、一人で作っちゃったんですか」
背中に伝わる寝起きの体温が温かい。
まだ眠たいんだろう。長太郎は俺の肩に顎を乗せて、口数少なに俺の手元を覗き込んでいた。
ぼんやりと窓の外が明るくなりつつあった。
夜とも朝とも言えない曖昧な時間は、人の心もほぐれているんじゃないか。
今なら、長太郎が素直に話してくれるかもしれないと思った。
「なぁ、どうして俺が飲み会に行くのがそんなにいやなんだ?」
なるべく静かな声で言った。
責めているとは思われないように。
不快感を感じさせないように。
長太郎は俺の肩に顎を乗せたまま、耳に頬ずりしてきた。
髪の毛があたってくすぐったくて笑ったら、長太郎は俺を抱きしめていた腕をほどき、立ち上がってキッチンに歩いて行った。
シンクの前に立つと水を出して手を洗い始める。
そして戻ってきた長太郎は、俺の隣に腰を下ろして餃子の皮を一枚手に取った。
スプーンで餡をすくって皮に落とす。
俺より器用な指先が丁寧にひだを作っていった。
「俺にもよくわからないんです。宍戸さんが誰かと飲みにいくのがなんでこんなに嫌なのか。わからないけど、すごく嫌なんです」
「ふーん」
「宍戸さんは友達いっぱいいるし、誰にでも優しいからよく誘われるし、付き合いもいいし、そういうところ好きだって思うんですけど、なんでか嫌で……」
「うん」
「俺を置いて行かれるのが嫌なのかもしれない。でも昨日みたいに一緒に行ってもなんだか嫌な気持ちになるし」
「うん」
「俺はきっと、宍戸さんにずっと見ていてもらわないと嫌なんです。宍戸さんの関心が俺だけに向いていないと嫌なんだ。ただの駄々っ子なんです」
「昔っからそういうとこあるよな、おまえ」
「全然成長しないな俺。宍戸さんとは、こうやって一緒に暮らせるようになったのに、それでもまだ足りないなんて」
最後の一枚を手に取って、長太郎は丁寧に餡を包み込んだ。
大皿山盛りになった餃子の一番上にそれを置いて、長太郎はボウルの中を覗き込む。
「少し余っちゃいましたね」
「肉団子にでもしてスープにするからいいよ」
片づけようと立ち上がりかけた長太郎の手を掴んだ。
少し引けば、長太郎は腰を落とす。
目線が同じになった長太郎に顔を寄せて、唇にキスをした。
「俺はおまえのこと、いつだってちゃんと見てるぞ」
もう一度、キスをする。
長太郎が俺のそばで寂しい思いをしている。
俺には長太郎の理屈は理解できないけれど、理解出来ないからと言って長太郎の寂しさを無視するようなことだけはしたくなかった。
好きだから笑っていて欲しいし、好きだから不安になって欲しくない。
そんな当たり前のことをどうやったら伝えられるのか、言葉を知らない今の俺には長太郎にキスをすることしかできなかった。
「わかってます」
長太郎が腕だけで俺を抱きしめる。
俺も汚れた手を浮かせて、腕だけで長太郎を抱きしめた。