夜間飛行

しつこい、とは少し違う。長太郎の手のひらに撫でられるときは、自分の余分なものを少しずつ少しずつこそがれていくような感覚になる。たとえば薔薇の茎に生え揃った棘の先端を、ひとつひとつ切り落としていくような。たとえば計量カップにこんもり掬ったグラニュー糖を、ナイフで平坦にすり切るような。
それでいて、たとえば焼きたての食パンに満遍なくバターが染み込んでいくような、たとえば山を覆っていた白銀がとけて土の中をゆっくり潤していくような、焦れったさとは少し違う期待が肌の下に広がっていく。
こんな風に触れられるのはこそばゆいと何度も言ったはずなのに、長太郎はこれしか触れ方を知らないとでも言いたげに眉を下げる。
そして何度も俺の名を呼び、何度も口づけたがる。
雄弁な瞳から逃れようとまぶたを瞑ってみても、指先で赦しを乞われて、とっくに耳に馴染んでしまった声で俺を呼ぶ。
「宍戸さん」
呼ばれて、まぶたを開いた。
服の下に隠していた艶やかさをあられもなくさらけ出す長太郎の肌から、汗の雫が一粒落ちた。
どのくらいの時間、長太郎に触れられているのだろう。長いのか短いのか、時間の感じ方もわからなくなってしまった。ただ気持ちのいいことだけを、二人でずっとしている。
汗だくの背中に張り付くシーツと湿った空気が体中にまとわりついて鬱陶しいくらいなのに、なぜか清々しくて空を飛んでいるような心地だった。
浮遊しながらあちこちに引っ張られて、上がったり下がったり、紐のついた風船みたいな俺は長太郎の導く先に縦横無尽に連れ回される。
「ぁ、また、っ」
「うん。宍戸さん」
かかとで突っ張ったシーツの衣擦れにすらかき消されてしまいそうな俺の声を、長太郎は耳聡く拾い上げた。
大きく開かれている両足がグッと胸のあたりまで持ち上げられて、なかにいる硬いものが更に奥までやってくる。
長太郎は俺の腹の中を撫でるように腰を振る。根元までぴったり入ったまま腰を揺すったり、ゆっくり時間を掛けて出たり入ったりする。もっと好き勝手に腰を叩きつけられたって平気なのに、長太郎はじっと俺の目を見たまま腰を揺らす。
それから唇と、喉と、胸と、性器を、じっくりと観察しながら俺を揺さぶる。
何もかもをつぶさに見つめられると、たまらなくなって自然と腕が伸びてしまう。長太郎をもっと近くに引き寄せたくなる。
少し前までは顔を見られる恥ずかしさを隠すために抱きついていた気がするが、今はもう、ただ体が求めるまま無駄にでかい背中をちからいっぱい掻き抱いてしまうのだ。
「あ、ぁ、ぁっ」
「きもちいい、ね」
問われて、頷いた。揺さぶられていて、うまく頷けたかはわからないが。
「ん、っ、はっ」
「……いい?」
耳元で切羽詰まった声がする。二人とも、いつ弾けてしまっても仕方ないくらいに限界だった。
「いい、いい、……っ、ぁ」
頭のてっぺんまで駆け抜けた快感に喉が詰まる。息も出来ずに昇りつめた俺の体が、言うことを聞かずに長太郎の背中に爪を立てた。
俺が達したのを確認してから、長太郎は少しだけ乱暴に腰を打ち付けた。三度か四度律動して、そしてガクガク震える俺の太ももにしがみつかれながら精液を吐き出して、俺をきつく抱きしめる。
硬かったものが俺のなかで微かにのたうち回って、首すじにかかる長太郎の深いため息とともに大人しくなっていく。
ドクドクと脈打つ心臓同士をくっつかせたまま、俺たちはしばらく抱きしめ合っていた。

「今年も、宍戸さんと繋がったままこの日を迎えられました」
だらしなく目尻を下げた長太郎が嬉しそうに言った。ぐちゃぐちゃになったシーツの上で申し訳程度にパンツだけを身に着けて正座している。
夕食のあと風呂に入って、それからかれこれ数時間、ずっとセックスしていた。何度達したかなんて数えていない。こっちはヘトヘトに疲れ切って起き上がるのも億劫だ。
長太郎にとって俺の誕生日である九月二十九日は特別な日らしい。そんな特別な年に一度の俺の誕生日を、説明するのも滑稽な話だが、俺と一つになって絶頂を追い求めているときに迎えたいと言う。
俺の誕生日に長太郎の願いを叶えてやるというのもおかしな話だが、今年もこの馬鹿みたいな本気のお願いってやつを拒み切れずに今に至る。
「一緒に暮らすようになってだいぶ経ちましたけど、またこうやって宍戸さんの誕生日を迎えられて、俺、しあわせです」
ベッドサイドの間接照明を点けた長太郎は、ほっぺたを薄明かりに照らされながら相好を崩した。
にこにこと楽しそうに、寝ころんでいる俺の腕を引っ張って無理矢理起き上がらせようとする。
「はいはい、わかった、わかった」
「もうバテてるんですか? あれくらいじゃ物足りないかと思いましたけど」
「挑発しようったって、その手には乗らねぇからな」
引っ張られるがまま体を起こして、胡坐をかく。長太郎はベッドの端に追いやられていた毛布を手に取って、下着すら身に着けようとしない俺の股間にかけた。
「暑い」
「おなか冷やしたら風邪ひきますよ」
「何時間も素っ裸でいて今更」
「セックスしているときは動いているからいいんです。今は休憩中だから、ね」
「休憩中ねぇ」
あれだけしておいてまだ足りないと言いたいのか。
「そんなことより」
俺の目の前に正座しなおした長太郎は、しわの寄ったシーツに三つ指をついて頭を下げた。
「お誕生日、おめでとうございます」
頭を上げた長太郎にありがとうと返すと、口元を緩めて抱きついてくる。
そしてまた、長太郎は俺の耳元でおめでとうございますと繰り返した。
抱きしめた背中はまだ熱い。長太郎の首すじの香りは、俺のにおいとすっかり混ざってしまっていて互いの境界がわからなくなる。
「プレゼント、いっぱい用意してますからね」
甘ったるい声が鼓膜を震わせる。この声を聴くと、腰のあたりがむず痒くなって仕方ない。
「何個もいらねぇって言ってんのに」
「毎年一つに絞り切れないんですよ。宍戸さんが欲しそうなもの、宍戸さんに似合うもの……って選んでいると、あっという間にプレゼントが増えていっちゃう」
「そのせいで、俺は毎年おまえの誕生日に頭を抱える羽目になるわけだ」
「お返しのことは考えなくていいんですってば。俺はプレゼントがなくたって、宍戸さんにおめでとうって言ってもらえるだけで十分」
「俺だって、同じなんだけどなぁ」
目が合って、唇が触れる。セックスしているときの熱を帯びたキスとは違う、ほのかな温かさ。
心の底から想われているということを、長太郎は言葉や目線や体全部を使って俺に知らしめる。
柔らかな綿で包むような優しさで大切にされることに反発した時期もあった。俺という人間の芯の部分がグズグズに絆されてしまいそうで、必死にもがいたこともあった。
けれどそれが長太郎の愛し方なのだと、頭ではなく心で理解したときに、俺は長太郎だけではなく俺自身のことも受け入れられるようになった気がする。その時から、毎年長太郎と一緒に迎える誕生日は、俺にとって今までよりももっと大事な意味を持つようになったのだ。
「去年の誕生日からもう一年が過ぎたのかぁ。いろんなことがありましたね」
「うん」
「俺、宍戸さんと居られて毎日楽しかったです」
「うん」
「今日からまた一年、よろしくお願いしますね」
「うん」
口づけられて、ベッドに沈む。
また一年、長太郎と過ごしていく一日目。
抱きしめた腕の中の長太郎は、もう一度、誕生日おめでとうございますと微笑んだ。