納涼祭

鳳宍ワンドロ企画に参加しました。テーマ「夏のおわり」

窓の外から聞こえてくる遠雷ような重低音に、身支度を整えていた宍戸はハッと顔を上げた。
耳を澄ませば、再度ドォンドォンと懐かしさを伴って破裂音の重なりが聞こえてくる。
「まじかよ、もう始まっちまった」
慌てて足元にたわんでいたジーンズを引き上げた宍戸は、ベルトを締めると寝室を飛び出し玄関に向かった。そこには、スニーカーを中途半端に穿きつぶしたままドアを開け、外の様子をうかがっている鳳がいた。
「おい、ちゃんと履けよ」
「宍戸さんが遅いから、花火始まっちゃったじゃないですか」
「うるせぇ。もとはといえばおまえがいつまでも離そうとしないから・・・」
「あぁもう、それについてはあとでちゃんと怒られますから、早く、早く!」
大きく開けたドアを腕でおさえ、鳳はつんのめるようにケンケンと片足でジャンプしながらスニーカーを履いている。ビーチサンダルを突っかけた宍戸は外に出ると、ガチャガチャと喧しく鍵音を鳴らしながら性急に戸締まりをした。その鍵を、自分のではなく鳳の尻ポケットに突っ込む。
「あっ! また俺に鍵当番させる気ですね?!」
横目でじろりと見下ろしてくる鳳に一瞥をくれてやった宍戸は、急かすように足早に歩を進めた。
この部屋は正真正銘二人が暮らす部屋であり、懐かしのテニス部部室ではないのだが、体に馴染みすぎている「鍵当番」という単語を未だに使っている二人である。
鳳が宍戸を非難めいたまなざしで見つめるのは、決まって宍戸の悪巧みを見抜いているとき。「鍵当番」を鳳にさせるということは、宍戸は鍵の管理に気を遣わなくてよいということ、帰宅までの一切を鳳にまかせるということだ。有り体にいえば、これから向かう納涼祭の縁日で自分はたらふく食べて飲んでへべれけに酔ってしまうかもしれないけれど、あとの世話は鳳に任せた、ということである。
「もぉ~、ほどほどにしてくださいよ? 宍戸さん、酔っぱらって寝ちゃうと重いんだから」
「ばか言え、祭りだぞ? 羽目外さねぇでどうすんだよ」
「俺だって羽目外したいのに」
「長太郎はさっきまで羽目外してたからダメ」
暗い夜道を、底の薄いサンダルを物ともせず早歩きでグングン進む宍戸の背中を、鳳は最近買ったばかりのスニーカーで地面を蹴り小走りに追う。

ドォンドォン、と花火の音がひっきりなしに続く。二人は先を急ぐが、まだ音がするだけで、空に咲く大きな火花は見つけられなかった。区の境目を流れる大きな川から打ち上げられる花火を見ようと、土手は見物人でごった返しているはずだ。
その川べりから一本道路を挟んだ神社の周辺に屋台が並んでいる。宍戸と鳳が目指すその場所からは、夜店を練り歩きながら花火も楽しめる。もっとも、そこからだと目視できるのはせいぜい夜空に咲く花火の一部分にすぎないが、祭りの雰囲気を味わうには十分だった。

「ハァハァ……宍戸さん、速いよ」
花火の打ち上げられている川沿いにたどりついたころ、宍戸の後を追う鳳が音を上げた。
「もうバテたのか? 走ってもいいんだぜ?」
「なんで、逆でしょう……いじわる、ゆっくり歩いて……いきましょうよ」
背後から息切れしながら訴えてくる鳳を振り返った宍戸は、小さくため息をついて立ち止まった。
「運動不足」
「否定はできないけど」
「鍛え直せよ」
「……そうしようかなぁ」
息ひとつ切らすことなく腕を組んで待つ宍戸に追いつき、鳳はひたいの汗を拭った。その汗ばんだ肌を、花火の瞬きが色とりどりに照らす。
「はぁ……あつい」
「そうか? 夏の終わりって感じで涼しいとおもうけど」
「夜風は涼しくなってきましたけど、動けばまだまだ暑いですよ」
鳳は、宍戸のせいであつくなるのはベッドの中だけにしてほしいという言葉を飲み込み、仕返しに宍戸の手を取った。
「おい」
「なんですか」
「なんですかじゃねぇよ。手」
「もうすぐ神社に着くし、宍戸さんは楽しいことがあると俺のこと置いてあちこち行っちゃうから、迷子にならないように繋いでおいてあげますよ」
「はぁ?」
夜空から響きわたる爆発音にかき消されてたまるものかと声を張り上げる鳳に面食らう。
宍戸は手を離そうともがいた。しかし、しっかりと握りこまれた手はそう易々と解けそうにない。
「人が見てる」
「見られて困ることなんてしてませんよ」
「そうだけど、そうじゃなくて」
「どうせみんな花火見てますよ。俺たちのことなんか誰も気にもとめません」
「……いじわる」
予想だにしなかった言葉が宍戸から出てきたことにいささか驚いたが、長年の付き合いで彼の性格を熟知している鳳はそれが意趣返しであることにすばやく気がついた。
「いじわるだなんて、俺のマネして可愛いこと言ったって離しませんから」
「別にそんなつもりじゃねぇし。あっ、おまえ、自分のこと可愛いとか思ってんの? いつも可愛いと思って「いじわる」とか「宍戸さぁん」とか言ってんの? へぇ〜?」
「も~~! あー言えばこう言う!」
しおらしさを見せたかと思った矢先に鳳の声真似までしてからかおうとしてくる。愛らしくも憎らしい宍戸の態度は常のものだ。
そして、それが照れ隠しの一種であることも、鳳は重々承知していた。
色気より食い気、すぐ近くで炸裂する花火を見上げて愛でようともしない恋人に、ロマンチックなムードを期待しても仕方がないのかもしれない。
けれど、この可愛げの無さも宍戸の魅力のひとつであり、そんなところに惚れてしまった鳳は対処法というものを心得ていた。
「宍戸さん」
「あ? ……あっ、ばか、やめろって」
覆い被さるように宍戸を抱きしめた鳳は、抵抗する宍戸に構わずむきだしのひたいに口づけた。二度三度ひたいに口づけ、腕の中から逃げようとする宍戸をさらにきつく抱きしめた。離れたところに通行人はちらほらいたが、暗がりで二人がなにをしているかまではわからないだろう。夜をいいことに、花火をおとりに、鳳は腕の中の宍戸にキスを降らせ続ける。
「手を繋いでもだめなら、こうするしかないですよ」
「なんなのおまえ。喧嘩売ってんの?」
「喧嘩はいやです。拗ねてるんで、甘やかしてほしいだけです」
仔犬のようにじゃれ付きながらいけしゃあしゃあと言い放つ鳳に毒気を抜かれ、宍戸はたまらず噴き出した。くつくつとかみ殺すように喉で笑う宍戸の鼻に、鳳はついばむようにキスをする。すると、いたずらな黒い瞳が細められ唇を寄せてきた。
「ほら」
差し出された宍戸の唇に、鳳がそっと唇を重ねる。そして見つめ合うと、みぞおちのあたりからむず痒さがこみ上げてきて、同時に二人分の笑い声が夜道に響いた。
「あーもう、宍戸さんの気分屋」
「お互い様」
緩められた腕からすりぬけ、鳳の手を取った宍戸が一歩踏み出す。
そのとき、ドォンとひときわ大きな爆発音とともに、大玉が夜空に大輪の花を咲かせた。
「おー、でけぇ」
宍戸が花火を見上げる。
その瞳にうつる煌めきを見下ろし、鳳はひんやりと心地よい手のひらを強く握った。